kotomonasha

二歩目に文章を書いてみる。

37.主体迷子

 

 食欲がなく、体力も落ちている。一日のうち体を横にしている時間が長くなっている。ここ数日の話だ。もうすぐ環境が変わるが、移行中に無気力になりかけている。体調を崩しているのも一因だ。だが、過去には喉がやられて声も出ないのに心は開いてひととコミュニケーションをとる気だけ満々で労働をしていたこともあるから、体調不良だけが、ひとと会話するのも億劫になっている原因ではない。だが、いろいろ重なっているにしろ一言にすれば体調が悪いということになる。これまでもさんざんそう文章に書いてきた。体力がない、不調である。今回はすこしこれを崩して書いてみる。こんなにまいっているのは、先の不安と、主体を溶かしてしまうのではと言う心配があるからだろう。

 独りでは生きていけない。このことを数年前よりは諦めて受け止めているつもりでいたが、実際はちょっとましになったというだけのことだ。責任を自分でしっかり持っておけない性質の私は、これを克服しようと今無謀ともいえる強硬手段に出ている。甘えの力も借りて。ひとに助けられながら、自立しようというので、悪い癖が出て、主体が私の下にあるのかひとが握っているのか、と迷ってしまう。人が持っていると思うとつらい哀しい悔しい。取り返すとかそういうものではないのではないか。そもそも私は責任などはなから持つものではない。持てないのだとしたら、苦しい。ひとに自分の主導権がある。それほど苦しいものはない。責任を持つ苦しさも大きいだろうが、自分が被る痛みが、自分の下に降りかからなければ、そんなみじめなことはない。これは世間体を気にしているからこその感覚かもしれない。人の目を気にしないようにと言い聞かせながら、そうすることはできない。小さい規模ではできたとして、社会的に生きることはやめられない。

 今私に占めているのは、主体が持てなくてつらいということ。これまでも何度も責任をひとに差し出してしまうことをかいた。似たような話なんだと思う。

 私に決定権はない。ひとの決定が、わたしの領域に浸食している。私の頭の回転が遅く、反応が鈍い。そのせいもある。わたしが、反応を鈍くしているという自覚もある。外に出ればもう少し早いか、そうじゃないとしても一旦止めはする。主体を溶かしている、責任を明け渡している私が悪い。だからこそ離れようとしているのだが、力がないのですっぱり断ち切りもせず、多くのつながりをつけたままである。これでは環境変われど、疑似的に一人になっただけで、解放感を味わうこともなく、責任はひとが手綱を握るように持っていると思い込んで、数年前の二の舞をやるのではないか。前回とは違うという気はしているが、構図としては似ているのだ。私は前より図々しく慣れているだろうか。ああ気持ち悪い。

 ただいまは不調なだけで、元気を取り戻せばやっていけると思ってもいい。そういう楽観を頭の中に細く流している。それでも根本的な課題なので不安は大きい。そういう時、ひとりになりたいと繰り返し唱えているが、ひとりのときはいい。ひとが介入してきたときにも自分の遺志を保って行動したいのだ。苦しい。人に明け渡してしまう弱さ、主張しない弱さ。

 もう一度体力を作り直して、一日一日継続して態勢を立て直していくしかない。がんばる。安心できる環境で、整えていけば、ひとと対峙する体作りもできるだろうと信じて。