kotomonasha

二歩目に文章を書いてみる。

44.二歩目の文章について

 

 このブログは、いかにして、一日の大半を地面と体を並行に保って生活するタイプのひきこもりから、頭を持ち上げて直立生活を再開するのか。その過程を記録、また文章にして解説したいがために始めたものだ。同時に、直立生活を継続するための手だてにもなっている。

 直立生活がある程度当たり前になり、ここに至るまでに私にはどんな変化があったのか、何をしたのか、記録しなければ忘れてしまうということを最近よく考える。もしまた床にこめかみを付けて一日を過ごすようになったとして、そこから直立生活へスムーズに移行できるのか、やはり同じだけ時間をかけるのか。これまでの文章はより感覚的、個人的である。これからも個人的な過程しか書かないつもりだが、もっと説明的に、順を追ってステップ1、ステップ2のように、分かりやすく項目ごとにまとめるように書きたい。これまでの吐き出しの一歩外に出たような文章と大差ないかもしれないし、初めから項目に分けるわけではないが、私が後からでもそのまままとめられるように意識して書く文章もぽつぽつ書いていきたい。

 

 意図していなかったが、一月なのでこのブログの抱負、というわけで、以下、まとめる用の記事、その中のひとつです。

 二歩目に文章を書いてみる。と題してブログを書いたが、ブログを書くという行為自体は三歩目以降のことだ。二歩目の文章とは何を指すのかというと、紙にボールペンでただ文字を書くこと。

 

 二歩目の文章を書くとき。B5またはA4のコピー用紙にボールペンで書く。チラシの裏でもいい。真っ白な紙面をすべて埋める。最初からすべて埋め尽くさないといけないと意気込む必要はなく、まずは紙面の一部に文字を置くことをやってみる。右上の端っこから左へ、というような決まりはない。どこから文章を始めても構わない。私は端っこから始めて、一行の終わりを紙の向こうは時までもっていかず中途半端なところで行を折り返したりもよくした。つまりはすきなように、手が動く範囲で行を変えるとか、そんなふうでいい。縦書きでも横書きでもその時の気分で書く。中途半端なところから始めたのであれば、余白ができるだろうから、今書いているスペースがなくなったら、また余白に相対して縦書きでも横書きでも、好きな場所から書き始める。新聞みたいに、文字で紙面が区切られていてあとから見ると面白い。そんなものを面白がる気分でないなら、ただ端から端まで四角く埋めていく。

 えんぴつよりボールペンがいい。手でこすれて文字が消えかかるということもないし、インクだと消しゴムで消えない。文字を消す必要はない。あとから読む必要もないが。インクだと余計な文字を書こうとしないという点もいい。パソコンで書くとつい必要のない文章を惰性で足してしまう。まっさらを埋めることで、おそらく私は完成するということを体験した。始めて、終える。これをちゃんとやることって難しいんじゃないだろうか。文章の終わりも難しい。しかし、どうやったら終わりなのかではなくて、ただ始めて終える、という行為を実行するだけだと、一日の大半を布団に寝転がっていたところから、直立生活をまた習慣化できた今は思う。

 私がボールペンを選ぶのはその筆先が紙に沈む感覚が好きだからだ。消そうにもできないボールペンで、紙面にインクを刻みつける。書き終えて、紙に余白があってもいい。次の紙に移るならそれでいい。成功体験と言い換えることもできるかもしれないが、ここは完成体験と言いたい。始めて終えるということは、どんなに小さなことでも、時間と労力が必要だ。忍耐力、気力が足りてないというときには最小限の完成を繰り返し実行すると、ウォーミングアップになって良いんじゃないか。体を直立に起こして数時間で背中が痛くなると横になる、という慣らしの期間に私自身並行してやっていたことだ。それは今現在のうだうだしながらもとりあえずやる、という重要な行動の土台となっていることは間違いない。