kotomonasha

二歩目に文章を書いてみる。

32,停滞ぽん

 

 

 二月前半はやる気がないのをだましだまし手を動かし、怠惰であることに不安を覚えつつ自分に甘くしていた。中盤からは集中を取り戻すことも、これまでの行いを変えるために努力することもなく、停滞。二月は逃げていると思わないくらい長い二月下旬だったが、三月に入るともう三日も過ぎていた、

 家を借りたい、金を作りたいとわくわくしても、実際道のりは長く、その手前でやる気をなくすというのを繰り返している。どうせ立ち止まるのなら手を動かしたいが、手を動かしているなら立ち止まってはいないのだ。

 今の停滞が、またいずれかのタイミングで行動を起こさないではいられない状態があり、ちょいと抜け出すきっかけになるのだろうということは分かっている。その時は必ずある。しかし、少しでも体を動かして準備運動しておかないといけないし、その時を待っているcだけで良いのかという焦りもある。待っているしか現にできていないのだが。これについては体力がない、という言い訳が用意できている。怠け、忍耐が足りない、甘い。

 こういう停滞のときになにをすればいいのか。これまでも書いてきたはずなので、私は読み返せばいいのだが、今回も読む前に、たぶん読まないと思うが、今の状態でとりあえず書く。

 まず、タイミングをただ待つということ。少しくらい動いていないとその何も逃す。

 それから、現状を把握する。何を思いなぜ停滞するのか。よくあるのはひとの目を気にする、これはたとえば食事がのどを通らない口に入れてももそもそでしかない、というふうに表に出る。

 これからどうしたいのかを考える。今回はこれがなかなか効かないそもそもの思考力集中力が落ちていて、たいしてじっくり考えられていないこともあるが、ぼんやりと面白くない、ぷっつり橋が途切れているのでわたるのを橋の手前でやめようと言う感じだ。わたってみたら、それこそ端はつながっていて向こうに行けるかもしれないのに、遠目に見てやめている。体力がない、忍耐が足らない。

 ただでさえ、歩みは遅く、後退も何度もするので、とりあえず手を動かすのが一番なのだが、二週間ほど、いや、ひと月前から予兆があったが、それをさぼっている。

 さぼれる環境にあるので、やっぱり背水の陣を敷こうか、などと頭をよぎる。すぐにそんなの現実的じゃないと打ち消すが、どんなに不安でどうしたらいいのかと打ち消すより、ポンと実行に移した方が幸せじゃないだろうかと思う。ぽんとやれない人間なので無理だが。退路を断ったらどうせ人間の人生なのだからそのほうが幸せ、と思ってもそちらの道に行くことが出来ない。私はそういう人間な気がする。が、そうやって選択肢を消すこともないので、結論は浮かせて起きたいものだな。

 退路を断つ、それかぬるま湯でいる。このままであるならば、別のところで覚悟を決めないといけない。ぼんやりとぬるま湯にいれば、私は何をすることも無いだろう。独りでいると気分が良くなると前にも書いたが、今回の停滞期間はひとの気配が無いと手を動かさずに堂々と怠けているだけだった。しゃんとしていないとそうなのだ。だから、手を動かすための土台作りとして、ひとの気配が歩かないかと言うこと以外にできることを考えていきたい。これは人目を気にする悪癖がかかわってくるのでかなり手ごわい。となるとやっぱり退路を断ちましょうかと手をあげて言うので、そんなひとっ跳びにはできませんと合いの手をいれておく。でも、やっぱり問題は人とのかかわりだ。独りでいたいのに実家にいる。ぬるま湯なのに苦しい。自分自身で責任を持っていないからぬるま湯で苦しい。自分で責任を持っていれば、人に金をもらっても元気にいられるんじゃないかな?私は元気でいられないのでわからないが。ひとの好意や親切や集団で当たり前であるらしいの施しを受け取れない。

 同じ問題に何度もぶち当たっているので、やっぱり、と考えるのは必然。やっぱり、とみっつくらい跳んだところに目星をつけるのは成長していない。

 自分自身で責任を持てないという問題とは別に、ただただ怠けものであることが今の私の問題点に大きく作用しているのだろう。

 このふたつをあわせもつと、問題にぶち当たる前に目をそらして結局問題にそのまま正面っ衝突して、対応できない。

 これがぽんと飛び越えたところにある行きたい場所を目指して、いきなり変えられる力は私にはない。

 今まで停滞から頭を出したのはタイミングを待ったときだけじゃないかと思う。手を動かさないではいられないその時に乗る。乗るのが苦手な私ですら乗れるタイミングだ。それは、自分自身で責任を持っていなくても前の自分と変わっていなくても乗れる。だから、また停滞を繰り返しているのかもしれない、ということで変化しなければ、という文章を書く。やっぱり背水の陣、を実行できたとして、この時点ですでにいろいろすっ飛ばしているが、不安なのはまた戻ってしまうことだ。次は戻らないと思っているから、戻ることになってしまうという不安が大きい。戻らないたすけになると思って、自分自身で責任を持つという夢を繰り返し書いている。

 ぬるま湯のままでいるには私は自信がない。それはやはり自分自身で責任を持っていないから。それと怠惰だから。とりあえず手を動かす、の妨げになっているのも主にそれらだ。とりあえず手を動かす、それも先につながるようなことで手を動かし続けられたら、ぽんとひと跳びできるだろう。てを動かせないで二週間が過ぎた。一月はそれなりに好調だったので、結構へこむ。そういうことで記しておきたかった。