kotomonasha

二歩目に文章を書いてみる。

43.年末って言葉に負けるよね

 

 年末、これからやろうとしていることは、うまくいくのか不安になる。準備しているものはぽんこつで、おもっているようにはうまくいかないのでは?と軌道修正も考えるが、自分の中には地道な蓄積が足りないので、ひらめきのレパートリーは数少ない。だめかもしれないと振り返り、いやこれでやっていく、と持ち直すのを毎日繰り返す。手を動かしていないのも要因。ひとつ決めて、それをひたすらこなすなら、ずっと手を動かしていられるので、精神はある程度安定する。じぶんがやっていることが腑に落とせているのであれば。問題は盲目的になることで、しかし同じ作業を続けているとおのずと変化を欲するので、改善を視野に入れることは定期的にできる。

 現在は、改善策を見つけられていない状態だ。ちょこちょこと未解決の課題がある。順調にできる作業も、ひと月単位で考えているので、月末はひと段落、リセットされることになる。停滞を解消することも、リセットされた状態から再開することも、とても難しい。

 なんとなく手につかなくて、でも十五分だけ、三十分だけ、手を動かしてはやめている。手を動かすことはできるが、金にならない事なので、罪悪感がある。布団をかぶっていても、スマホで映画は見れるのだ。

 直立生活に何の疑問も持たずに生活して半年ほどになるが、この一週間は背中を地面につけたいと思うときが何度かあった。

 だるんとした感覚から抜け出すには何をしたらいいのか考えて真っ先に浮かぶのは、掃除だ。年末といえば大掃除。どうしようか大掃除、今年は別にいいかな、定期的にちゃんと掃除をしているわけではないのだけど。平たく言えば億劫で、でも頭の隅に大掃除という言葉が居座っている。

 掃除をすればいいのだよ。雑巾濡らさなくてもいい。掃除機かけることもない。大掃除でなくて、掃除をしたらいいよ。

 頭に引っかかっている課題は、大掃除、以外にもうひとつ、この文章を書くことだった。しばらく書いていなかった。書かずとも体調は別のところで調整できていた。それはいいが、年も終わるし何か書いとこうか?数日前から別に書かなくてもいいじゃない、と頭に居座っていた。書いたらよかったらしい。結局書くのだ。

 やりたくないかなやんなくていいや。と頭の中に居続けるものは、結局やることになるのだから、済ませてしまえばいいことなのかな。やりたい、やると決めていることですら、ずっとそこに置いていたら気になって気が散って仕方がない。やるべき?やんなくていい?やらなくていいやいいよね……なんてあいまいで主張のあるものがそこにあったら、頭もかったるくなるというものだろう。やらないと決めたことはしつこくみえるとこに居座ったりしない。

 現状のだるさを解消するために、これを書いたら私は掃除をする。それから、この先だるんだるんの種を一つ減らして進んでいくために、名づけをしないといけない。名前、場所、箱というのはそれをとっかかりにして物ごとを進めていける。私は名前を付けるが苦手で、と言い訳をして拠り所を作るのを先延ばしにしていたがそろそろ決めねば、また同じ要因の停滞に見舞われることになる。