kotomonasha

二歩目に文章を書いてみる。

41.人と会って停滞するとき

 

 人と会うと、つい昨日までハッピーだった心持ちが鳴りを潜める。そこにいるはずなのに何も言わなくなる。

 自分の中だけで完結していた考えをひとに放した途端大したものではないことを教えられる。そんなことを誇らしげに頭の中でこねくり回していたのか、とある意味で解放され、虚無感を味わう。その衝撃はひとと共有することはできない。

 話はそれるので一文だけ書いて素の道に戻るが、死も虚無感とするなら、それ自体が共有できない感覚なのかもしれない。

 まさに客観的視点を取り入れるという事、取り入れるというよりも打撃的というか、直接的なことだが、私はその機会をありがたく思う。ずっととどまっていたところから、足を踏み出すことが出来るのだ。

 人と会ったら疲れる、元気がなくなる。描いていた明るい未来が陰る、というのは閉め切っていた窓を開けて、風通しをしたからだ。空気は動いてきもちいい。しかし太陽は眩しいし、虫は入ってきたし、風が通り過ぎて逆に寒くなってきた。

 衝撃や虚無感、風の通し過ぎで、かったるくなって落ち込んだ気でいてまた自分はこんなになって、と責めたくなったり焦っているかもしれないが、腰をあげて、足を延ばせばいいし、足を踏み出して、足の置いている位置を30cmほど変えたらいい。