kotomonasha

二歩目に文章を書いてみる。

34.だいじょうぶ、やる。

 

 四月末からの時間間隔がこれまでのものと明らかに違う。常に焦りつつ、手を動かしている。一日にやることを書き出さないと頭の整理がつかない。それくらいには動いている。落ち込んでも、長くて二日。だらだらとひきずっているようなところはあるが、手は動いているのでちまちまと進められてはいる。先の不安と世間体を気にすることで、足が止まりそうになるが、私がやらないと何も始まらないと言う自分の目をしっかり見て、言葉を受け取ることで、足を進めている。

 もともと腰は重いし、歩みは遅い。不安だからもっと練習してからにしようとか、今日は休む、休むのも大事だと、抜け道の言い訳を気を抜いたらしてしまう。だから油断してはいけないのだ。

 今まさに不安、しかも無視するべきではない不安であるのは、ここで進むのをやめることだ。

 自分がやる、自分でやる。しかし、その手段に必要不可欠な、人にものを伝えるということがいまだに課題としてそびえたっている。声を出すことすらままならない。たぶん文章を構成することにも私の口は不慣れになっているだろう。よそゆきを装えばいける。自分の言葉で、背伸びをしないで空いて個人を見ればいけるととりあえず諭すことにする。

 身内に助けられているのに、相談も助けを求めることもままならないのは本当に問題だ。自分一人でやっていくのにはとても憧れるが、すくなくとも今は無理そうなので、これまで通り頼りながらやっていくことになる。適度に離れようとしつつ、意思疎通は欠かせない。これを欠けば、私の方が申し訳なさで立ち行かなくなる。援助をどれくらいどの範囲受けるのか。ちゃんと確認する。そして伝える。なんとなく察してねだと双方に気分よくない。今現在、報告が遅れそうだし、相談もしていないので、私は気分が悪い。介入されたら困るだろうなあと先を考えて不安になっているので、悪い癖がそう抜けてない。

 気持ちばかりが焦って、逆に満足げにもなる。ふあんだらけだ。だいじょうぶ、だいじょうぶ、がんばれ。このさきの失敗も不安も自分で抱えていくことの楽しさを獲得したいのだ。

 はじめに戻り、時間間隔のことだが、ここ数日はゆっくりになりつつある、それもあってどんよりと焦っているのだが。先延ばしをするとゆっくりになるので経過しているのだ。腹が気持ち悪くなっても、次に進めるようにしたい。あたってくだけろ、が、できる体調になりつつある。