kotomonasha

二歩目に文章を書いてみる。

18,困ったな、食欲がない

 

 

 直立生活をしばらくしてみたが、食欲は相変わらずない。いちどなくなったら取り戻すのに時間がかかることのひとつらしい。とはいえ、まだひと月、直立にだいぶ慣れてひきこもりじゃない人間にすぐにでもならないと機会を逃してしまうと焦ったりするが、手探りでひと月立ち止まったり振り返ったり試してみてひと月なので、じつは何にも慣れていない。体力も安定していないし、声も出ない、ひとの目を見れない。こう書き出してみると全然できていないが、自分では大きく進んでいる気でいた。四足歩行ですらなく、肩を床につけて息をしているだけだった状態から、二足歩行をしだしたので、やっている本人は大きな変化で、体の使い方も不慣れなのだ。

 今やっと、日中活動する生活リズムをみつけようとしているところだ。そこで問題になるのが、食欲だ。問題と言えばほかにもあって、また並べると話がどこかにいって隙あらば自分を責めたくなるので、今回は食欲の話がしたい。

 喉が詰まるような、閉じているような感覚は、よほどひとりでリラックスしているとき以外はいつも感じている。これが原因かはわからないが、声を出すときはこの感覚が強まる。あとはひとを前にしているとき。それから、食事をする時だ。食欲はないが、腹は減る。鳩尾のあたりがもやもやして食べたいとは思わないが、食べないと起きて活動する気力も失せるのだ。特に夕方は食べないと眠くなる。ちゃんと九時に寝るリズムを作りたいのにその前に体の力が抜ける。ちょっと休んで、夕食をとるとそのあと二時間は活動できる。食欲がないと、自分が腹が減っているのかそうでないのかもわからないときがある。腹も減ってないし食欲もないから食べなくてもいいかな、とそのまましばらく動いて、急に空腹をさとって眠くなる。日中ちゃんと直立生活をしていたものだから、夕方の燃料切れは即落ちるらしい。比較的元気な昼間でも、食事をしないと頭がぼーっとして活動する気力がなくなる。休みたいな、何もやる気がないな、ツイッターだらだら見てしまっているな、というときは空腹をほったらかしにしてしまっている。空腹じゃないとツイッターをすっぱりやめられる、とくに結構好調の今ならば。空腹のせいか、それとも今は休んだ方がいい日なのか、どっちかわからない。しかし、夕食を食べていないので空腹なのは間違いない。なんだかやる気のない午前中、いつもなら作業に没頭しているのに、やすんでいいかな。なんて今日までの作業量を確認して一日八時間として微妙だからどうしようか、おめでたいひきこもりが休むなんて、腰も痛くないのに、というわけでとりあえず文章を書いている。とにかく食べればいいのだと思う。お菓子とかバナナとかじゃなくて、コメを一定量食べたらいい。しかし、食欲はない。食べる気力もないので、こうしてかろうじて手を動かしてなんとかならないものかと思っている。

 たぶん食欲を自分自身で消している。喉のあたりでストップをかけるように自分で仕向けているのだ。それはひとの家を間借りしているからとか、ひとの食物だからとか、そもそも食事をひとと囲むことが苦手とか、理由はあげられるが、解決策はわからない。いやだな逃げたいな、という考えをすぐさまどっかにやれないうちは、それを取り払えられないと思うと先がつらい。壁の前でもだもだやって、半月は過ぎる。三か月は過ぎるだろうか。

 いやだな逃げたいな閉じこもりたいな、と思う頻度が増えたのは私がこれまで見ないふりをしていたものに目を向けているからなので、ちゃんと対峙しなくてはならないし、じつは対したことはない。しかし、対峙しているふりをして見ないようにすることも可能性としてはあり、すでにちょっとやっているのでそれを軽快している。でも、対峙できないのだ。最終的には避けてしまう。結局避けてばかりなら、布団の中にいるのと大して変わらない。もういっそ全面的に避けるのだとしても、私が自分で動かなければ理想の逃避は絶対に実現しない。

 眠い時、やるきがないとき、食欲がないときはやっぱり文章を書いてみるのがいいのかな。キーボードを打たなくても、紙とペンがあれば書けるので、スマホなんて見ていないで書けばいいのだ。そうしているうちに、頭がすっきりしたり、空腹が耐えきれなくなったり、次のやることが思いついたりするだろう。そうなるまで、書けばいい。なんの変化も無いということは書き足りないのだ。

 食欲はすぐに取得できないので、今は布団に閉じこもらないように文章を書いて食べたくないのを諦めるのを誘い出すしかない。