kotomonasha

二歩目に文章を書いてみる。

33,希望への小休憩と信じたい。

 

 四月は収入を得られる体制を整えよう。と一月に計画していたが、絶好調の一月、停滞した二月三月と過ごして、思い描いていたようにはもちろんいかない。準備が足りていない。でも、足りていない分をゆっくり進められている。四月はそんな一か月だった。

 新年度なんてのは意識の外だった。おかげでみんなスタートしているのにという考えは遠巻きに見ているだけであまりダメージも無かった。理想どおりではないが、じゃあ何をするのか自分の目で見れている方だと思う。

 ちょっとだけ環境が変わり、温かくなったのも要因だろうけど、ここ十日は継続的に手を動かしている。前半二日ほど停止したが、まあ二日で済んだ。週休二日も自分に許したくない気持ちをなだめるのに成功した。それから、日中起きている。まだがっつり体を動かしていないし、昼間は苦手だ。夕方寝ていることで安心を得ている。不思議なことだ。これをひと月続けられたらいいが、難関はどいてはくれない。筋肉痛を言い訳にしないのにも慣れないといけない。

 だらけた気分のときも、とりあえず現状を文章に書いていると、手を動かそうという体になってくる。

 あれこれ都合をつけて先延ばしにする癖はそう簡単に抜けないので、計画通りにはいかないだろうが、なんとなくやりたいこと、これがらじぶんがすることが見えてきた。いきあたりばったり、というのが私に必要だ、まあやっぱりすぐにはできないから練習から始めないといけない。この時点でもう違うが、意図的に行き当たりばったりにしないとできない不器用な奴なのだ。調べ出したら、不安要素はたくさんでてくる。楽観的に動いて、また振出しに戻ることになると頭によぎる。でも、失敗するならひとりで失敗を満喫したい。なんにしろ動かない事には始まらないので、練習するところと、持ち前の楽観的な見方を放出するところと、切り替えるとまではキッパリしていないが、天秤でふらふらしながらやっていきたい。それがもともとの性のような気がするし、うまく使いこなせれば良い武器になる。

 こんな文章を書いているということは、小休憩。だらついて、やることがぼんやりとみえなくなって、ともすればひと月停滞してしまいそうだと水面下で焦りつつまあ大丈夫だ休めと楽観主義者が蓋をしている状態だ。実は早速先延ばしをしている。なんとなくうしろめたくってこれを書いている。このあと手を動かすかと言えばそんなこともないだろうと予感。しかし、最善は明日も手を動かすということだ、それにつなげられるのなら、後ろめたさと言うものをひきずる時間を長く取るよりさよならまた明日と手を振って休んだ方がいい。わき目も降らず、時間をむさぼろう。