kotomonasha

二歩目に文章を書いてみる。

27.今朝の執拗

 

 朝のテレビ番組を久々に十分ぐらい見て、執拗さがあるなと思った。番組側か、企画した人の意図を伝えようとして、その執拗さもありありと伝わってしまって、毎朝見るには疲れないかな、と余計なお世話が頭をよぎる。意思を伝える過程でたいてい一生懸命伝えようとすると執拗さは伴う。ぼーっとたたずんで、ああそうね、ふーんそうなんだ、などと風に吹かれるようにしていてひとと深く関われる人はいないんじゃないだろうか。私はちょっとでも執拗さに触れたらいやになってしまう。ひとの意識が自分に向いただけでむかむかと気持ち悪くなる。向けられるものをすべて避けようと身をすくめている人間にとっては見ていて疲れるものでも、そうじゃない人にしてみれば、いつものことなのだろう。伝えようとする執拗さ。この文章にもあるのかもしれない。同じことをくどくど書いて、出来るだけ簡略化しないように違う言葉に置き換えるように心がけているが、落ち込んでいるときに読んだら、もういいですとなるのかもしれない。いまのところ読み直そうとも思っていないので、分かるのは先のことになる。伝えようとするのと、それを正誤は別として正しいことだとほころびが無いようにすること、美化すること、それらがあわさると、執拗さの正体はそれなんじゃないかと思うほどに、とても執拗。