kotomonasha

二歩目に文章を書いてみる。

20,ぬるつめたい風と布団の中

 

 声を出したいが夜なので叫ぶわけにもいかず、ごまかしていたら喉が絞れるような感覚になったので外を歩くことにした。

 夏の冷たい夜を思っていたが実際は温かさが少しのった風が吹いていた。首回りがうすら寒いのは曇り空が明るい闇の中だから、というだけではなかった。

 すこし離れた国道を車が走る音、風があらゆるものに手を通していく音。あるかもわからないの多くの知らない気配を想定して、もちろん物や生き物がそこにいる開けた場所で耳はそれぞれの音を拾うのだが、私はできるだけ体を解放して自分の中だけの思考を手放そうと歩いた。

 風が吹いていたが温かいからか一時間歩いても耳は痛くならなかった。冷たさがあったらもっと体が切羽詰まることが出来て、動作にだけ集中したのかもしれない。ぬるさと冷たさが一緒に吹いていた。星の見えない曇り空に雨を心配しつつ、どうにも外の世界に馴染めなかった。

 車の走らないきれいに整えられた道路とオレンジ色の街頭、暗い建物と曇り夜空、ここに歩いている人間は自分一人だけで、場違いな感じがした。すると放っておけば自分の内にこもりだす。視野は頭蓋骨にとどまる。何度も自分を体から放り出しては、戻ってきた。腕は腕の中に。たぶん夜にしても昼間にしても居心地悪いのは同じなのだろう。

 異様に平坦な広い道とそれに沿う街灯を見ながら、うすら寒いのも手を貸して、死に思考が向いているような気がした。これまでしたような逃避であるのならば死を選ばない、ということでいちど納得はしていた。そもそも死は私にとって家を出たいから遠くへ進学するというような逃避とおなじものだった。外の広さに圧倒されて歩いているこのとき、今までよりもずっと身近に死を感じた。自死の思考に誘われているようだった。私物がたくさんあるからとか書いた文章が残っているからと言い聞かせて、いますぐには死ねないということを確かめるのが巡る思考から抜けだす策なのだが、それも効かなくて、いつまでもひとの目を気にしているのか? と最近の意識改革の成果がここで出てしまったり、そうじゃなくてもなんとなく納得できなかった。

 歩いていると余計なことを考える隙が少なくなるので、と期待したものの、今回はまったく余裕があった。ならば歩くしかない。ずっと歩き続けて、日が昇るころにどこにいるかと想像した。すでに足が痺れる兆候が出ているので実際は無理だし、何より暗い建物と木の葉が怖い。理想に描く自分と言うのはこれらに溶けるような体の中に風が通るような状態だがほど遠い。

 深夜の駅に寄ってから折り返すことにした。暗い駅のホームでじっとした。新幹線用になったホームは、点字ブロックが明るく続いているのを確認できてもこのまま知らないところに行くんじゃないかと思うほどに長かった。途中、コンクリートではなく簡易になったのを足元で感じて歩いている分には変化があって面白かった。地面と距離と空間があることを意識すると体重の乗せ方も変わった。

 帰りたくないのに帰らねばという気持ちは薄れて、帰路についた。駅にいるあいだもうっすらと死について意識が向いているようで、早く離れて布団の中に入らねばとも思った。

 どうしようもなく気持ち悪かったり、喉がつまり過ぎたら、叫ぶのが一番だ。ひとりになれないから歩いたのだが、そうすると運動して眠りにつきやすいという利点はある。

 たまたま死に意識がいってしまう状態だったが、歩かねばしょうがないという衝動には答えるしかないのだ。できるだけ意識を体の外へと思っても、慣れていないのでうまくいかなかった。今回思考を切り替えられたのは、実行する力が無かったのと、切り替えようとしたからだ。切り替えないと苦しくて仕方ない。深みにはまりに行くようなことを以前はしていただろう。今、ちょっとだけ落ち込んで活動停止しかけているが、回復へ向かうように促そうという動きもやれているのだ。

 好調時の、さらに進まないといけないという、これまでの行為を確かめる動きとはまた違った。やや違う。出来ないという考えが占める中、転換するようにこれまでとちょっとずらした考え方をする。好調の状態でどうやっていたのかまったく分からないのだ。またいちから、本当は以前やった下地があるのだろうが、当人はまっさらから見つけ出そうと、自分の状況を確かめる。何が嫌なのか。今自分はどういうふうに考えているのか。なぜそういう結論に至るのか。見直しているうちに、下地もちらっと見えたりなんとなくわかったりするので、そこからずらしていくか、言葉を言い換える。

 そうしているうちに無事に家について、布団の中にこもって、まだ寝れないのでスマホで良い文章を読む。布団の中は安心だ。この家がひとのものだということはいちど置いておける。眠らないと、進まない。眠りすぎなんじゃないかと、すかさずののしるが、眠ったら次に進めるのは確かなのだ。いちどに寝る時間を短くできたらいいが、あいにく私は不器用だ。