kotomonasha

二歩目に文章を書いてみる。

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  行動をおこすという壁を生じさせている。自分の中ではふつふつと不安と肩を並べて意欲が起こっている。しかし、それを実現するのに、私の喉は詰まったままだし、目はひとに合わせようとしない。意識を相手に届けずに、足元にぽとっと落としている。いつかあった関西のひとのようだ。違うのは、彼が社会をやれているということだ。私はかけらもやれていないので、足元に落として拾ってもらえるわけがない。一言さんお断り。暗黙の了解は常連だから成立する。強制的に暗黙の了解にとりこまれるよりはずっといい。まずは基盤を作らないといけないし、私の場合基礎を作ってもその後怠ればずるずる崩れるので、これからもちゃんと基本を抑えないといけない。

 意識を届けることすらもじもじして躊躇ってしまっている。体が慣れていない。なんとかやれているようなふうで一週間。始めたばかりだからと甘やかすのもいいが、状況はここから出たくて仕方がなくなっている。準備運動、されど進みながらできるに越したことはない。そんな器用なことができるあというと出来ない。だから着実に挑戦する。今週雨だから、来週。などと言っていると天気予報はずれて今週は晴れの方が多かったりする。いろんな理由をつけて避けようとする。避けたいなら、NOと断ることだ。どうせできないやつなのだから、いくらかましだ。

 自分がやらないと何も起こらない。ここから出る。ただそれだけは絶対にやる。そのための行動なので、ひとつ遅れると工程がひとつ増え、またはいちからやることになる。

 肝に銘じたいところだ。ああ嫌だな。声が出ないな。声が出ないという喉のイメージと、目の周りをぼんやり保護する感覚は、どうにかできないものか。声をやたらと気にするし、ひとと目を合わせるのが怖い。意見を伝えるのが怖い。その意見は大体伝わらない。と書いていると、体の形にすべてを押し込めようとする感覚に襲われる。この感覚を対処しつつも行動する訓練はしばらく続く。