kotomonasha

二歩目に文章を書いてみる。

6,楽観を捨てなきゃという無意識

 

 実はひきこもっていて良いんだという気になってくる。

 働いていない。家族付き合いをこれから厚くするつもりはない。こうして確認すると、私はひきこもりじゃなくなるほかはないから、ただ単に内にこもって視野が狭くなっているというだけではない。あまり違いはないかもしれない。ちょっとのびのびしつつも視野の狭いところだけ見てるから、ひきこもりの肯定というものが出てくるのだ。

 クマの冬眠をぱっと思いついたが、つまりはこうしなきゃならないという意識や本能的なものからそれようとすると不調が生じる。別に本能にはある程度とらわれなくてもいいのが人間なので、あとは外を気にしている意識をどうにかすればいい。

 視野が狭くなると楽観的にもたやすくなれるが、視野を開けて楽観を選んでみることもできるはずだ。

 働いていないのでそんな資格は無いと謙虚になってしまいがちだが、動き出さなければその遠慮も意味はない。結果としてやらないことの言い訳になるのは避けるが吉だ。

 気が進まないのなら、徐々に全貌が見えるようにしていくこと。周りが少し見えていないときに楽観的になっているのであれば、穏やかにそれを持っているといい。完全に捨てさせようとはせず、自分の独りよがりと外へ向いた目線をどちらも把握していればいい。楽観の種を摘んではいけない。逆に執着しすぎても、転換の機会を逃してしまう。作用が起こるのはできないと自覚し落ち込んだあとだったりする。でも、前向きな行動につながるものなので一時の落ち込みですぐに捨てないことだ。

 元気になると攻撃的な体の動きも出てくるが、これを対処するのもふたつの視点の把握じゃないかと予想している。凝縮と放出の動きをいくらかそのままにさせて、ふっと外の風が当たるように意識を向ける。攻撃性をちょびっと出して、その隙間から外の風をつかむ。はかのものを傷つける可能性があるなら、小出しにするのは殺意のみが望ましい。うまくいったときのシュミレーションだ。

 一点をのめりこんでいるか、見ている状態と、そんな状態を把握しているという視点。今はどちらかに偏って揺れていることが多いが、どちらもあることが助けになる。

 じんわりと両者の間を行き来している。理想はこれの切り替えが軽快にできる状態だ。昔ちょっとだけちゃんとしていた頃は、そういうふうに切り替えられていたように思う。これでも改善している方で、思い込みに埋没しないだけまだいい。負の選択に引き寄せられることもない。スタートは負の選択だが、進むには切り替えるしかない。嫌だよね、しかしやるのだ、と変に張り切らずに淡々と選択する。こうして書かないとわからないくらい、しばらくその方法を忘れていた。思い出すのには習得した時間の倍以上かかるかもしれない。文章は続けてないと書けなくなり、また書けるようになるまで百字から始まる。私の大好きな作業もそう。たぶんなんだってそう。

 楽観と気の沈み、楽観ばかり見ていれば元気な逃避に閉じこもることになりそうだ。気の落ち込みを突きつけられないと、逃避の先を行く、つまりは向き合うことを忘れ、そのうち罪悪感にとらわれてふたたび元気のないひきこもりが出来上がる。

 元気でいられるひきこもりならいい。ひとの金で図太く生きるというのは、私は苦しいのでやめるほかない。

 今はちょっとだけひきこもりの先が見えそうだとのんきでいる。手で確かめて、足を置く場所を選ぼうとしている。同時にその先を見ることを恐れているが、戻ったってそこにある逃避はすでに知っているやつだ。

 楽観は心に余裕を持たせる助けになる。体を動かしながら現実と対峙するには、深刻にとらわれて自分をののしるのは控えたほうがいい。思考がとらわれる状態にいるときは、こんな文章は理解できないほどだと思う。ほどかれた状態でいる今だからこそ、楽観的であることを大事にしておく。縮こまった体でも、たまに楽天的なときがあるので、徐々にそれに慣れると、常に楽観と不安を持っていられる段階に移行する。この状態を手放すべきだという気配はない。ただ、そこに身を置いていることが変化なく続くことへの不安はある。表向きは変化に焦っているが、じつは恐れている。

 ひきこもりのままじゃ嫌なのに逃避している、という状態から抜け出す。

 情けないとか、幼稚だとか口先だけとか、悪いところをあげても閉じこもっているままならば、ちくちく痛みを与えても意味はないので、それはやらない。

 元気な時に何かやって作用を起こしていく。なにもしない、掃除、座る、文章を書く、そうして作用を繰り返し起こした。ネガティブなことで足を止めるならわざわざ自分の痛いところをえぐり出してこなくていい。目的は動くこと。意識は前へ行こうとするが止まりたいという臆病さもある。

 順番にゆっくり拒絶反応を見つめながら身を任せていけるといい。といってもなかなかうまくいかないだろうが、窪みができるまでその場で足踏みするつもりでいよう。そこから始めるほかない。