kotomonasha

二歩目に文章を書いてみる。

5,直立活動への復帰

 

 今まで体を直立に起こし、過ごしてきたが、ひきこもり四か月、そろそろ常に地面と並行の生活に移行するのではないかという感覚があった。力のなくなったようなゆるくしびれた下半身への意識は薄れていた。背中を敷布にくっつけ、腕を持ち上げてスマホを支え、それすらも億劫になると横になって頬を布に預けて、最終的にはうつぶせになる。スマホを手放し、地面に胸をつける。息はしづらいが、形を合わせるように体の位置をはまる場所に落ち着ければ、布団に一体になるような心地になる。

 目の先にほぼ並行に床を眺めたあるときに、直立二足歩行をここままだと捨てることになるという答えに辿り着く思考が持ち上がり、私はその周辺を撫でるだけにとどめて、ひんやりとした床にまっすぐ手を伸ばした。ぼんやりと思考の輪郭だけ触ってそのままにした。その瞬間、思考は為されて答えも出しているのだが、その道順を辿ることはしなかった。ちょっと踏み出して、別のところに足を向けた。こうやって無意識のうちに答えを出して、すぐに吟味しないことも何かの作用を起こす素材ではないかと思う。

 すばらしき直感をかみしめて、自分自身に自慢しようと、すぐに手でこねくり回して、説明しようとしてしまうが、形にあてはめることで得られなくなるものがあるのではないか。あとから分析するのはいくらでもできる。

 実際そのおかげかは分からないが、ふたたび直立生活を取り戻しつつある。

 体を立ててすぐは背骨まわりに痛みほどではない違和感やしびれのようなものが生じた。寝ようとする背骨の違和感に慣れてくると、直立でいられる時間も伸びて、休憩も思い出したら入れるということで済むようになる。ただし、背中に意識が取られていると集中力も判断力も落ちるので、横になることは欠かせない。そして、自分の姿勢の悪さを自覚する。猫背と体幹の弱さを実感しながら、腰を立てて背骨が座りこまないように気をつける日々である。長時間座っていられると、おしりも痺れてくる。足の痺れとは少し違い、ずっと座面に押し付けている痺れだ。足の場合は座面と自らの太腿に挟まれるから、感触がわからなくなったり立てなくなったりするんだろう。自分のおしりの存在が感知できなくなるほどの苦痛は、強制されない限りおそらく味わうことはないだろうと思う。

 あたりまえに直立生活をしていたときより、おしりの耐性も弱くなっているのか、短時間で痺れる。座っていると気持ち悪いので、早く慣れたい。直立生活が長くなれば、この痺れも消えるものなのか、今後の楽しみのひとつだ。それよりも先に、座っているだけではなくなるか、立って文章を打つようになっているかもしれない。

 いまのところは背中が丸まることによる痛みというかこわばりと、おしりのじんわりした痺れとまでいかない存在感のある感覚との付き合い方を模索しつつ、定期的に寝そべって体を伸ばしている。